2015年を振り返る。
1年も遅れてしまったけれど、
ホント諦めなくてよかったな 。
途中
なんで オレ DJやってんだろ とか
なんで オレ
台湾で講演しなきゃならないんだろう とか
なんで 会ったことも
無い知らない人たちに、
こんなに言われなきゃ
ならないんだろう とかね。
なんで オレは日本に残って 、己の成果よりも 他者の実績を出させることに時間という 命 を 削ることを始めたんだろう とかも、正直なった。
もともと嘗てのGoogleやInstagram社のように、どれだけ少ない社員数で、どれだけの価値や年商を世に示すことができるのか。
こういった少数精鋭で1000億規模とかを成し遂げる、正にベンチャー思考な為に、インフルエンサーが増える度に仕事が増えることを意味するなあ となったりしていったし、そういった思考に陥っている時期が多かったのが本音だ。
ただ、9月頃から 、いつの間にか 何故だか私なんかがYahoo本社に出入りするようになっていたり、サイバーエージェント社が弟子募集などの久積の玄関ともよべる 一般フォームからお申し込みしてくれて、久積篤史の今の事業やビジネスや考えを知りたい と自宅まで逢いに来てくれたりもして、自分のなかで理解し難いことが多々おきていました。
そして、今月。
久積篤史のことを、やっている事業を、物凄く 求めてくださる企業に出逢ったんだよね。
WEBシステムの開発、運営・管理体制、経験と実績、Yahoo‼︎やFacebookといった巨大IT企業とのパートナーシップや認定アライアンス。
憧れである大先輩の経営者が1990年代後半に起業し創業したIT企業からの、俺からしたらとんでもない条件でのビッグオファーとなりました。
2014年は、年末には既に身体もズタボロでアデノウイルスに感染したり、台湾講演の5日前だというのに感染中 に眼があかない状態から 何故だか突然右側の視界が真っ白になって、台湾講演中止 or 緊急手術となり、これも迷わず後者を選択したことで、2014年12月の月商はピークへと化した。
2015年は 今振り返ると 、
本望ではないことをやり遂げてきた
「我慢した一年」だった気がするなあ。
過去4年間に又る上京物語。
しかし、今迄の出来事は単なる序章であって、本編は今始まったばかりなんだと、できる限り初心に戻り、この機会を真っ向から取り組み、常に挑戦し、大成していこうと思います。
仲間たちへ
我儘な自分に付き合ってくれて
ホント いつもいつも ありがとう。
頑張りまする
久積篤史
PS.
この素敵なお花はね。
一昨日、愛媛に居住する起業意欲の高い勇気ある女性からメッセージを頂いていたので、メッセージを僕の声でお返しさせて頂いたら、直ぐに飛んで逢いにきてくれた女性から頂戴したお花なんです (^^)
ありがとう
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